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空から見たヌメア

‪無人航空機のカメラから捕らえたヌメアの町を眺めよう!

ヌメアの陸と海、発見がいっぱい!

ビーチ、緑の空間、海、マングローブ、自然が好きな人々なら、ヌメアの町が織りなす風景の多様性に魅入り、感激するだろう。

  • 大プロジェクト:‪ヌメア周辺地区の開発、ヌメア中心街の開発、グリーンエコ地区開発

1854年から今日まで

1854年ルイ・タルディ・ドゥ・モンラベル船長(Louis Tardy de Montravel)はニューカレドニアの南西に新たなる軍事拠点を築こうとしていた。当初はサン・ヴァンサン湾を想定したが、結局ヌメア湾を選んだ。錨地が深く強い風から守られる地形だったからだ。彼は領地宣言をし、1854年6月25日「ポール・ド・フランス(Port-de-France)と命名する。今日のヌメアの町の大部分は、当時、まだ海であった。モンラベルはヌ島に面する海沿いの丘の上にコンスタンティーヌ(彼の船の名前)要塞を築く。Vue ancienne de Nouméa

1855年、最初の町の設計図が ‬ポール・コファン(Paul Coffyn)工兵隊

しかし、モンラベルが選んだこの地域には川や泉がなかった。飲料水の不足はすぐに大きな問題となった。ヤウエの川から水が引かれて12kmの配管がヌメアに完備されるのは1877年になってからだった。

1859年6月25日司令官の指示により、ポール・ド・フランスは正式に市になり、市長、11名の議員からなる議会が作られたが、翌年、解散され、代わりの議会と議員が任命されたのは、なんと14年後だった。その間、1866年6月2日、マルティニーク諸島のフォール・ド・フランス(Fort-de-France)との混乱を避けるため、ポール・ド・フランスはヌメアと改名された。

 

 

詳細

主要な年月日

  • 1854年6月25日 ポール・ド・フランスが築かれ、1866年6月2日ヌメアと改名。
  • 1856年 ヌメアは921名の住民を有する。うち113名は軍人。
  • 1858年 コンスタンティーヌ要塞とヌメアの最初の教会、サント・クロチルドが建てられる。この教会は1890年火事で焼失してしまう。
  • 1875年 コンスタンティーヌ要塞を壊し、病院を建設する。
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一世紀半の工事

町に初めに作られた2道路はポール・ドゥメール通り(まずグー通りそれからモンテベロ通りと呼ばれた)それにセバストポール通り(旧フーシェ通り)である。その後レピュブリック通り(旧テスタール通り)、そして1860年にアルマ通りとなるルブリス通り。続きを読む

町並みの由来

  • ベイ・デ・シトロン Baie des Citrons その昔スティクス(護衛艦の名前)湾と呼ばれた。1900年以前、この湾の後ろにレモンの木々を植えたことからベイ・デ・シトロン(レモン湾)と名がついた。今はベデと略す。
  • アンスバタ Anse Vata カナール湾からサンタル湾に改名(サンタルはフランス語でビャクダンの意)。サンタルはメラネシア語で「ワタ
    それがバタになりアンス(湾)バタ。
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モンラベルの創始者

1811年、ヴァンセンヌに生まれたルイ・タルディ・ドゥ・モンラベルLouis Tardy de Montravelは海軍学校で優秀な成績を収めた。 1829年から、アンティル諸島、南アメリカ、トルコ沿岸に航海した。海軍中尉として、デュモン・デュルヴィル探検団に加わり、1840年アデリーランドを発見する。 続きを読む